ディレクター&アーティストトーク

12月10日開催したトーク内容の全文です。

ディレクター&アーティストトーク

2023年12月10日 14:00~ 旧永平寺保健センターにて 

K…窪田研二(ZEN AIRプログラムディレクター)O…大槻唯我 N…中村厚子

窪田(以下、K) 大槻さん、中村さん、それぞれどのような動機で『ZEN AIR』に応募されたのかお聞かせください。

大槻(以下、O) 「死から生を捉え直す」ということが私の制作のテーマの一つで、その過程でさまざまなリサーチを行っています。主に西洋哲学の資料を読むことが多くて、西洋哲学で死がどう語られているのかということは知識として得ていたんですね。

一方で、仏教思想、漢文などの古典も好きです。そこから漢詩に触れ、真言密教の本などを読み仏教的な東洋の死生観に関心を持ち始めて、きちんと学びたいという思いに至ったんです。海外で「禅」という言葉を耳にすることはあっても「本当に日本的な禅を指しているのか?」という疑問を持ちつつ、どう説明したらいいのかが分からないままでした。

実はプログラムに参加する前に、一度、本山(=永平寺)に行ったことがあります。修行僧が観光客と同じ空間で修行をするというのは、日本国内でも例を見ないと感じました。改めて行ってみたいなと思ってた時に『ZEN AIR』の募集を目にして、「これは応募するしかない!」と。

中村(以下、N) 私は「坐禅がしたかった」という一言に尽きます。鈴木大拙さんの本を読んで理解しようともしたんですけど、禅のことはなかなか分からなくて。「禅の里」で制作ができる機会があるならば、滞在しながら坐禅をして、禅とは何かということを自分なりにつかみ取れればと考えました。

K 2人が現地入りしたのは9月の後半でした。現地で生活を送る中で、どういうところから制作の足がかりを得たのかということにも関心があります。アーティストのアンテナに引っかかる永平寺町の風土というのは、私たちとまったく違うのか、それとも共通点があるのか。そのあたりについて聞かせてください。

O 応募段階から本山永平寺に通いたいという思いを持ち、制作過程でも週に1、2回は通っていました。一方で永平寺町内にはどういう人が生きていて、どういう環境の中で何をしてるかということにもアンテナを張っていていた感じです。

現地で滞在してちょっと戸惑ったのは、曹洞宗を信仰する一般の方がほとんどいないということでした。福井の土地柄、浄土真宗のかたが多くて。そういう環境における禅の文化っていったい何だろうということは、心に引っかかってはいましたね。

曹洞宗をあくまで仏教の宗派として優先するか、観光として捉えるかで、文化としての前提が変わってくると思います。両者の関係性について今でも自分なりの答えは出ていません。ともかく永平寺町という町については全然分からないままだったので、どういう人たちがどういう営みをしているのかを自分の目で見ないことには始まらないなと思い、とにかく町内を歩いて写真を撮りました。

N 私は「人と自然の関係性」をテーマに作品を作っています。なので毎朝の坐禅以外にも食事の時には自然に感謝するという作法があるということも聞いたので、できるなら朝食の修行もさせてもらいたいと思いました。

永平寺町役場の方に「天龍寺なら朝の坐禅ができるよ」って教えていただいたので、私が福井に到着した2日後の朝に伺いました。

何も知らずにいきなり坐禅に参加して、終えた後に天龍寺のご住職に「ZEN AIRというプロジェクトで永平寺町に来ている。食事のことも学びたい。ぜひ、やらせていただけませんか」とお願いしたところ「明日から来なさい」とすぐに言っていただけました。そこから1カ月以上、ほぼ毎日通っています。10月頭には1日10時間の坐禅を5日間行う摂心(せっしん)という修行にも参加しました。天龍寺さんの立派な僧堂で、坐禅するとすごくテンションが上がるんですよ。だから坐禅が苦痛だと感じることは一切なくて、楽しくてしょうがなかったです。

成果発表展で披露した『坐禅妄想記(ざぜんもうぞうき)』がその成果の一つです。坐禅を始めた最初の頃、目の前にある板の木目やカーテンが動いてるように見えたんです。坐禅をするとそういうイメージの妄想がどんどん湧いてきて、楽しくてしょうがなかった。それらを毎回全部メモにとり「絵にしようか、どうしようか」と考えを巡らせていました。ところが坐禅3日目あたりからだんだん見えなくなってきたんです。「つまらなくなってきたな…」と思った時、初めて「坐禅ってなんだろう?」と意識しました。

お経の意味を調べたり、道元禅師が書いた『正法眼蔵坐禅儀(しょうぼうげんぞうざぜんぎ)』や『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を読んだりして自分なりに納得させようとしたんですけど、5日目になって「もうこれはたまらんぞ」となり、天龍寺のご住職に「坐禅の目的がよく分からなくなってきました」と話すと、「目的を持っても坐禅をしてはいけない。何かを得ようと思って坐禅をしてはいけない。どんなことが浮かんできても、とにかく流していくことが大事だ」と教わったんです。

それを聞いて楽になり、その日の坐禅の最後は今まで見た妄想が走馬灯のようにぶわーって出てきて、「あ、これは絵を描けということなんだろうな」と感じたわけです。

一応言っておきますと、坐禅で妄想を見ることはあまり良い坐禅ではないそうです(笑)。初心者はつい妄想を見たり考え事したりするのですが、どんどん流していくのがいいということでした。

K 大槻さん、町内を歩き回ってさまざまなものを見たり感じたりすることを通じて、「他の地域とはここが違う」みたいな気づきはありましたか?

O 私の祖父母が住んでいた場所と似てる雰囲気がありますね。大きい川が流れていて谷があって。というのも、祖父母が住んでいるのが山の方で、そこも永平寺町のように川が流れています。一種の懐かしさみたいなものを感じながら町内を歩いていました。今日連れて行っていただいた吉野地区の奥の方のように、古い家もあちこちに残っていますし。私はいわゆるニュータウンで育っているので、育った町に対するふるさとの感覚というものが薄いんです。

一方で、ご本山永平寺も別の魅力があります。長期間いる方はいない。雲水さんもいずれ入れ替わっていく。800年近くの歴史の中で入れ替わり立ちかわり誰かが来て、場所が形成されていく過程が面白いなと思います。本山は火災に遭って再建されていて、町内には永平寺よりも古い建造物もある。時間の蓄積というものを感じます。

K 大槻さんはたくさんの文献を読んで、各地を回って、写真を撮る。中村さんはもうひたすら坐禅で実践をする。中村さんはもともと舞踏という身体表現をしているので、坐禅からのアプローチもとてもよく理解できます。おふたりが別の切り口から攻めているようなところが面白いと感じます。

K 中村さんの土肥家の蔵の作品をご覧になった方、どれくらいいらっしゃいますか? 手を挙げていただけますか? …会場の半分くらいですね。中村さん、あの蔵で坐禅をして、そこで感じたことを基に制作をしていくとおっしゃっていましたが、その経緯について伺ってよろしいでしょうか?

N 坐禅を繰り返すうちに「なんか自分の核みたいなのがここにあるな」と感じたんです。イメージで例えるなら球体みたいな形というか。

坐禅中にカラスの鳴き声が聞こえたりすると、「あっ」と体が反応する。またしばらくすると、拡散した意識が自分の核にぎゅっと戻ってきて、また何かに反応して、また戻ってきて…という繰り返しが多かったんです。坐禅をしている時に考え事をしていたら、今起きていることを見失ってしまうと感じたんです。例えば、カラスが泣いている時に何か考え事した瞬間、それが聞こえなくなる感覚といいますか。天龍寺での朝の食事中も一切しゃべってはいけない。話さずに食べるということは、食べ物の味を本当に味わうことにつながるんです。米の味、昆布の味、梅干しの味と、1個1個丁寧に味わっていく。

坐禅をしたことでの私なりの結論は、「禅とは今と向き合うこと」ということです。今と向き合うための訓練です。今と向き合うことはつまり、自分自身と向き合うということであると。それをテーマにあの蔵の作品を作りました。

作品の中心に空洞の球体を据えて、その周りにいろんな形がへばりついているように作品を展開しました。土肥家の蔵で私が坐禅をして聞こえてきた音だったり、感じた風の流れだったり、その場所で感じたことを即興的に身体で表現して、その動きからいくつかの形を抽出して球体の周りに組み合わせました。

K 中村さんは以前から流木を使った作品を手がけていますが、流木を使うことにはどのような意味を込めているのでしょう?

N 流木は自然界の循環の象徴として使い始めました。以前、鹿児島県の屋久島に行ったことがあったんです。屋久島は水の循環がとても印象的な島。地元の人が「自然界の循環のほんの一部に人間が住まわせてもらっている」と話していたことが心に残ったんですね。その言葉から「人間は自然の循環の中に生かされているんだ」とすごく感じて、そこから流木を使った作品づくりに入り、今に結びついています。

だからといって流木オンリーではないんですけど、流木を使って作品を作ってほしいと依頼されることもたびたびあります。時には流木を用意してくださっていることもあって、コンスタントに作品制作ができています。ただ、葛藤はあります。流木を使うたびにに「流木は自分にとってどんな意味があるのか」ということを考えさせられ、特にこの10年くらいは「流木をもうやめようか」とかなり真剣に考えるところまでいきました。それでも何度も何度も使ってきたことで、少しずつ、「自分の素材になってきた」という感覚がつかめてきました。

今回は、流木を使うことを当初考えていなかったのですが、事務局の方から流木を使おうかっていう話が進んでいった中で、やっぱり流木でよかったなと思ってます。作品は自分自身を表現しているものですし、蔵の作品はまさに自分の身体性から生まれた作品なので、流木以外に自分を表現する素材はなかっただろうなと。

K 今の中村さんの話に「今と向き合う」という言葉がありました。大槻さんも町内をずっと歩き続けて、気になるものが見つかったり、何かの匂いを感じたりした時にシャッターを切るわけですよね。歩いている時の感覚は無に近いようなものではと感じるのですが、「疲れたなあ」とか「この後、何を食べよう」みたいな考えを巡らせているのか、坐禅しているような感覚で歩いているのか、どちらなのでしょう?

O 自然に恵まれたところを歩いてると「世界がとても美しい」ことに気がつきます。なんでもないようなところにもきれいなものがたくさんあって、そこで自分が生きてることを楽しむ感覚になれる。

いろいろと考え事しながら歩くんですけど、道にある些細なものがとても美しく思えたり、そういう美しいものを発見する過程そのものが楽しかったり。風景から読み取れることもあります。例えば「この木のある場所はどんなふうに時間が流れたのだろう」「あの山は植林されてる。おそらくずっと使われてきたのだろう」、そういうことを考えるのが面白いですね。過去に遡っていく感じが私はすごく好きです。ただ歩いた後の1日の後半は疲れてるから、「疲れたなあ」という感覚はありますよ(笑)。

K トークの冒頭、大槻さんから「死についてとても興味がある。死から生きることを考えるというようなアプローチをする」という言葉がありました。一方で、中村さんは人と自然の関係性を気にかけながら作品づくりに取り組んでいるという印象を受けました。

似てるいるようで違うアプローチだと思うのですが、今回のプロジェクトで禅についての研究や実践を行う中で、いわゆる死生観や、人と自然との関係性に対する意識が変わったり、確信めいたものになったりというようなことはありましたか?

O そこはあまり変わらなかったですね。以前作品制作のため、山梨県の青木ヶ原樹海に通っていたのですが、あの森の中を1人で歩いていると自分がなくなっていく感覚というか、自己が薄れて自分を客観的に見られるような感覚になるんです。自然に許容されているとでもいうか、肯定も否定もされないような状態ですね。

私も少しではありますが坐禅を体験して、その時も周りに同化していくような感覚になりましたね。時間の感覚が薄れていって、1分も40分もあまり変わらない感じになる。そこから伸びていくと、1年も100年も同じ時間の中にあるっていう感覚になるのかなと。

現代社会は時間を見て行動することが当たり前になっていますよね。今にフォーカスするのでなくて、10分後、1時間後にあれをしなきゃいけない、これをしなきゃいけないみたいな。そういうものに追われていて、時間に支配されている暮らしだと思うんです。

それに対して本山には時計もなく鐘をついて時が流れていく。しかも1つ鐘をつくだけじゃなくて、木版をついて、鐘をついて、時が流れていく。鐘をつく時も毎回礼拝をする。そうやって時間をかけて、時間の中で生きていく生活。そういった暮らし方に一度立ち返った方がいいのではないかと思います。

N 一言で言うなら、「自分も自然なんだな」という感覚ですかね。1回目の摂心が終わった次の日、天龍寺の皆さんと一緒に温泉に行ったんです。そこで露天風呂に入っていたら、摂心の時に聞こえたのと同じ鳥の鳴き声が聞こえたんです。坐禅は僧堂の中で壁に向かって目を開けて行うので、鳥の鳴き声が聞こえても姿は見ることはできない。

鳴き声のする先を見たら鳥の姿が見えたんです。「ああ、あの鳥ってこんな姿形をしていたんだ」って。それで見えることの幸せをまず感じて、ぼーっと外を見てたら風がはっと吹いてきて、葉っぱがパラパラっと落ちて、地面にペタっとくっついて。風は風の仕事、木は木の仕事、岩は岩の仕事をしてるんだということを実感して、それぞれの仕事が互いに何かしら影響し合って、一つの世界ができていることを素直に感じられたんです。

それに気づいた瞬間、もう、涙が止まらなくなって、「世界はなんて美しかったんだ」って。口で言うと安っぽいですけど、魂が震えるくらいに納得した瞬間でした。その時にもう一つ感じたことは目を開けて坐禅したことで、自分もその世界の一員なんだと。自分は自分の仕事を全うすればいいんだなという安心感を得ました。

K 人と自然を切り離すのでなく、混然一体のものとして認識したということですね。アーティストは感受性が強い人が多く、周りの世界に対する眼差しみたいなものが、私のような一般の人とは違っていて、だからこそアーティストたりうるということを感じています。

K 大槻さんの作品の一部は明日から、永平寺で展示することになっていますが、刺しゅうの作品について少し説明していただけますか?

O 刺しゅうの作品は趣味で始めたのがきっかけです。青森のこぎん刺しが好きで。日本刺しゅうの作品制作を考えるに当たって絹糸を使いたいというのがあって、今回何ができるかは分からないけど、材料をとりあえず持っていこうと。

現地に来て本山でリサーチを進めていくと、いろいろと面白い模様が目につきました。紋様だったり窓枠の組み方だったり。そういった模様を図案化して、絽刺し(ろざし)という技法で刺しゅうをすることにしました。

当初、本山に写真を展示できるかどうか微妙なところもありました。いざ発表展示となった時に何もないのはまずいと考え、刺しゅうの作品を並行してやることにしました。写真とは別の意識を巡らせることで、気持ちが落ち着くというか、心が整います。

K 当初は永平寺で写真が展示できなかった時のいわば保険みたいな位置づけだったと。でも、やってみたら気持ちが「無」になれたといったところでしょうか。

O そうです。写真もそうなんですけど、自由に何でもできるとなると、私はかえってできなくて。今回の刺しゅう作品のように、マス目という限られた枠の中でどうできるかみたいなところに面白さを見いだしています。写真も同様で、みんな同じカメラを使うけど作品としては全く違うものが出てくる。何かしらの「型」の中で極めていくみたいな世界がしっくりくるみたいです。

N 「『ZEN AIR』で禅を学んで、インスピレーションを得て、作品を作る」というような話を周りにすると、たいていの方が「そりゃ無理やわ」とおっしゃるんです。

永平寺の西田副監院は、「普通に坐禅をやりなさい」ということですね。「普通に坐禅をやればそのうち気がつくことがあるから、それを作品にしなさい」とおっしゃいました。それがある意味、型にはまるということなのかもしれないですね。

K アーティストは何かしらの「もの」を作る人ですよね。絵、彫刻、写真と、メディアはさまざまですが。でも、その「もの」というのは自分だけでは完結しない。世に出して見てもらうことで初めて完成すると言いましょうか。今回、2人が多くのチャレンジをしていろいろな形態で作品を出されました。作品を見た人に対して、「こう感じてほしい」とか、「こういうことが伝わるといいな」というようなことはあったりしますか?

O 社会的な問題を取り上げるような作品ではないですが、私のスタンスはあります。しかしそれを押しつけるわけではありません。見る人が自分の好きなように解釈してもらえれば。それがアートの面白いとこだと思うんです。

私の創作のテーマの一つに「思考する隙間を与える作品を展示する」というのがあるんです。今の生活には、考える行為そのものが減っているという感覚を持っていて、社会のことに対する、「なぜ」という考えをなかなか持ちにくい。社会全体が忙しいということもあるかもしれないし、インターネットなど、情報過多な社会の中でどんどん時間を埋められてしまうということに起因しているのかもしれない。だからこそ、私の作品を通して何か少し気づくことがあればいいなと思いますね。

写真というメディアは、私の視点で見た世界を表現するものなので、鑑賞者とは違う世界を見てると思うんです。だから、私の作品は世界に対する違った見方の提案とも言えるし、世界はこういう風に見えることもあるよというメッセージでもあったりします。

刺しゅうの作品を永平寺の西田副監院にご覧いただいたんです。副監院はさすがに気づいてくれましたが、雲水さんも気づかなかった模様があったりするんです。正体を明かしたら、「ああ、あの場所か」ってなるんですけど、いつも目にしているはずなのに実は見てなかったということがあったりする。

それは町の中でも一緒ですね。地元の人たちの目に入ってるのに、ちゃんと見てなかったということがある。仔細に見てほしいというわけでなくて、別の視点で物事を捉えて世界を広げてもらえれば、という感じでしょうか。

N 私も大槻さんと同じ考えですね。作品をどう見てもらいたいかっていうのはあまりなくて、好きなように見てくださいっていう感じです。

今回、蔵の作品以外は全て即興なんです。パッと思いついて感じたことを形にしてるものばかりなので、コンセプトを聞かれても私自身がそもそも分かってない。それこそ、先ほど言った「今と向き合った結果」だと思ってます。自由に見てくださいっていう感じです。

K しばしば、「現代アートは難しい」という言葉を耳にしますよね。現代アートは高尚だとか難解だとか、私のような仕事をしていると耳にタコができるくらい言われているわけです。でも、アーティストの作品って必ずしも何かを説明しようとしてるわけではないんですよね。2人の話からも私はそのように感じました。

アートを鑑賞する上で、「エンパシー」というキーワードがあります。シンパシーではなくてエンパシー。相手の立場に立って物事を考えたり、理解しようとするエンパシー力を発揮したりして作品を見ると、「あ、この作家はこんな視点で世界を見てるんだ」というようなことが分かって、自分との視点の違いを楽しめる。そういう世界の見え方の違いを提示するのが、今回の作品ですごく表れているのではと感じました。

O 実は私、中村さんに聞きたかったことがあって。最初の摂心が終わる前か後か…どちらか忘れたんですが、「坐禅を組んでいると、別に大きい作品を作らなくてもいいかな、もしかしたらめちゃめちゃ小さい作品になるかもしれない」って言ってたのが記憶に残ってたんです。私、11月に永平寺町を離れてたんですけど、戻ってきたら中村さんが大きい作品を作っていた。その間の心の動きが面白いなと思ったんです。

N そうそう。最初、本当にそう言ってましたね。いつもは大きい作品を一つ作って終わり、くらいの作り方なんです。だから今回、こんなに小さい作品をいっぱい作ったのが自分でも意外です。

これってやっぱり坐禅のおかげなんだろうなと思います。すごく心の底からリラックスしながら、作品を出すとか出さないとかあまり関係なくて、本当に毎日やりたいからやるみたいな感じで、どんどんやってたら、それだけの量になっちゃった。だから展示してあるのは、日々のスケッチとかちょっと思いつきでやったっていうことの集積みたいな感じなんですね。

最後に自分なりの区切りとして、この滞在が自分にとって何だったのかということを形にしたくて、出来上がったのが大きな作品というわけです。蔵に入った時の絶妙な暗さがとてもよくて、ぼんやりと内部が映し出される空間にぐっと来たんです。自分の内面を見つめるような空間だなっていう印象があります。坐禅も薄暗い場所でやるので、蔵という守られた内向きの空間との共通点も感じました。

K 即興の立体作品もいいですね。すこくかわいいですし、家に置きたい。

N ぜひぜひ購入してください。

K 販売もするそうなので、欲しい方はぜひ。刺しゅうの作品も売っております。

N 和室に置いてある写真も立体も全部即興で作った作品です。屋外に落ちている物やいらない物、でも何か気になるなというような物を拾って、思いつきで組み合わせた作品なんです。そういう作業をやっていると、自分がコントロールするのが半分、自然が自ずと形作るのが半分というバランスで成立させた感じがあります。全てコントロールして自分が作りたいというより、自然と折り合いながら対話して作るという感覚があります。自然と友達になって遊んでいるとでも言いましょうか。

K 脱力と言っていいのか分からないですけど、強い主張があるわけではないので見やすい作品ですよね。美術作品には、作家性が前面に強く出ているものもあって、そういうのを見ると、「すごく強いなあ」とポジティブに受ける場合もあれば、主張が強すぎて受け止めきれない場合もあったりする。

中村さんの作品は本当にいい意味で脱力してるから、ずっと何日も置いてあっても飽きないような気がします。それと、この会場には中村さんがいろんな場所で身体表現をしている記録映像が流れていますね。永平寺の参道周りを散策している中で描いた作品もある。

N 杉の根元のスケッチのことですね。自分が滞在している宿舎から見える霧が毎朝山に向かって上がっていく姿、永平寺の周りを流れてる川など、散歩中に気になったところを撮りまくって、宿舎に帰ってきて描きまくる。そういうことをやってました。とりたてて意味があるわけではなくて、ただ気になったところを自分のために描いていたという感じです。

K 中村さんありがとうございます。では、会場の方で質問や意見があれば伺いたいと思います。いかがでしょうか。

質問者A 死と生という、大槻さんの作品作りのテーマが興味深いです。そこに着眼したのは、何かご自身の体験があってのことなのでしょうか?

O もともと死ぬことがものすごく恐ろしかった子どもでした。小学生くらいの時、寝る時に目を閉じると宇宙が見えるような感覚になって、それが本当に怖くて。それは自己意識がものすごくあるからなのかな。死イコール今こう考えている自分という存在がなくなること、その恐怖がずっとありましたね。その一方で、生きづらいという感覚も持ってて、死ぬことが何かしら魅力的だと思うこともありました。

そういうふうに生きている中で、自宅からそんなに遠くないところにあるきれいな前方後円墳を訪れた時、ものすごく気持ちが落ち着いたんです。そこに蓄積してる時間を認識した時に、私なんかもう本当にどうでもいいぐらいの時間が流れていることにすごく安心感を覚えました。

以前読んだ本の中に、フィリップ・アリエスというフランスの歴史家の『死の歴史』という本があって、その本によると、古代では死の感覚が今とは違ったという話なんですね。現代人は、死を「全ての終わり」という感覚で捉えているし、その死を目にすることも日常的には少ないですよね。でも、古代はそうではなかった。古墳が作られた時の死の感覚も今とは違うと思うんです。埋葬した死者が次の生に戻っていく、あるいは地下の国に帰るっていう感覚の下、おそらく古墳は作られていたのではないでしょうか。だから死が断絶された世界における生とは何だろうと。死と生はずっとつながっているものなのに、生だけをピックアップして今の私たちは生きていると思うんです。

けれども、その死は本当に断絶なのかとか、その死が終わりを指しているのかというのは、西洋哲学でも問われているところですし、仏教でも「死ぬためにいかに生きるか」みたいなことが語られる。死と生は宗教にとってすごく大事で核になることなので、じゃあ死に思いきり向き合うことでもう一度、生を考え直すことができるのではと考えたわけです。

それで東京藝術大学の学部の卒業制作は生と死をテーマに作品を作りました。今まで私が読んできた西洋哲学では極論「死に関して解決できないことは考えない方がいい」という風潮傾向があるのですが、仏教はしっかり対峙していくべきという考えがあるので、今後、制作を通じてもっとその思考を深めていきたいです。

質問者A 今の世の中は死を隠す方向に向かっていますね。私もだんだん死に近づいてるので、そういうのを考えざるを得ないなと思ったこともあって。参考になりました。ありがとうございます。

質問者B 中村さんに伺いたいことがあります。先ほど「好き勝手に見てください」という優しい言葉をいただいたので、好き勝手な感想を述べさせてください。

今まで、美術作品を見た後に作家の思いを聞くことはあったんですけど、今回は見る前に作家の思いに触れる機会をいただけました。その時の中村さんの話で、「全てのものは世界の要素の一つ」というような言葉があったと思うんですけど、それを聞いて私自身も「あ、ここに自分はいていいんだ」という気持ちになりました。自分の居場所を肯定された感じがして、今までよりいっそうおいしくご飯をいただけそうです。今、自分が生きている環境が恵まれた環境だなって感謝できるようになったのは、あの作品のおかげと言いましょうか。言葉になってないんですけど、そういうふうに思いました。ありがとうございました。

続けて質問させてください。インスタグラムで制作途中の中村さんの作品を見ていました。蔵の中が身体の姿で形づくられるんだろうなと自分で勝手にイメージしていたのですが、ある時に真っすぐ柱に沿って縦方向に下りてていたことが意外でした。あの発想の源泉みたいなものを聞かせていただければと思います。

N とても細かく作品を見ていただいて、本当にうれしいです。ありがとうございます。あの縦線は踊ってる時に降っていた雨音からインスピレーションを得たものです。雨が自分の体に当たって、体にぼこぼこって穴が開いたような印象を持ったんです。そのイメージが線になったというのかな、そんな感じですかね。

あの縦線は自分の過去の作品にも何回か登場していて、それは、地面の方に伸びて行こうとする根っこみたいなものでもあったり、冬場のつららの姿にも近いというか。北陸出身なので、冬のつららってすごく印象的で、重力に沿って、真っすぐ下に伸びていくじゃないですか。あれが私の中ですごく気になるんですよね。

K 質問ありがとうございました。中村さんの蔵の作品をご覧になってない方、今日は4時半までなので、ぜひ今からでもおいでいただいて中村さんの作品を体験していただければと思います。今日はアーティストの皆さん、ご来場の皆さん、ありがとうございました。